遺言が無効になる場合(3)~自筆証書遺言③~

 自筆証書遺言が無効となる場合の続きです。

 民法第968条1項によると、「自筆証書によって遺言をするには、遺言者が、その全文、日付及び氏名を自書し、これに印を押さなければならない。」とされています。
 今回は、このうち、遺言書への押印(「これに印を押さなければならない。」)について述べたいと思います。

 自筆証書遺言に押印が必要とされている趣旨は、以下のように説明されています。
「自筆証書遺言の方式として自書のほか押印を要するとした趣旨は、遺言の全文等の自書とあいまつて遺言者の同一性及び真意を確保するとともに、重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによつて文書の作成を完結させるという我が国の慣行ないし法意識に照らして文書の完成を担保することにあると解される」(最判平成元年2月16日民集43巻2号45頁)
 つまり、
 ①遺言者の同一性を確保する
 ②遺言者の真意を確保する
 ③遺言書が完成していることを担保する
ということです。

 このような法の立て付けになっていますから、押印がない遺言書は基本的に無効となります。
東京地判平成12年9月19日(金融商事判例1128号61頁)は、「全文が遺言者の自筆であることのほかに、遺言者の署名があれば十分ではないかとの考え方もあり得るところであり、現に、立法論としては押印を不要とする考え方も有力である。しかしながら、我が国における法意識としては、今なお、署名よりも押印を重視する傾向が強いというべきであり、民法968条1項が『これに印をおさなければならない』と明確に規定している以上、本件遺言書のような遺言者の押印を欠く自筆証書による遺言は、当該自筆証書中に遺言者の押印と同視し得るものがあるなどの特段の事情のない限り、無効であるといわざるを得ない。」としているところです。

 押印がなくサインがある事案についても、当該事案では、遺言者とされる者が、養子縁組に関する覚書、手術に関する承諾書、建物登記に関する図面といった法的意味を有する文書については、押印あるいは指印することによって文書の作成を完結させていた事実が認められることのほか、サインがなされている書面は、日々の出来事やそれに対する気持ちを主な内容とするノートの一部であることを踏まえ、本件サインが、遺言という重要な法的意味を有する意思表示を記載した文書の作成を完結させる意義を有していると認めることはできず、本件サイン等が押印と同等の意義を有しているとは認めらないとして、民法968条1項の押印の要件を欠いていると判示した裁判例があります(東京地判平成25年10月24日・判例時報2215号118頁)。
 上記の判旨部分を読むと、この判決は、サインであっても常に一律無効となるとまでは言っていないように思えますが、しかし、「いまだ我が国においては、重要な文書について、押印に代えて本件サイン等のような略号を記載することによって文書の作成を完結させるという慣行や法意識が定着しているとは認められない。」とも判示していますので、一般論としても、サインでは押印があるとは評価できないという立場を基本的には取っているようです。

 これに対して、拇印については、上記の最高裁判例(最判平成元年2月16日民集43巻2号45頁)が、以下のとおり、押印がなされている場合にあたるとしています。
 「自筆証書によつて遺言をするには、遺言者が遺言の全文、日附及び氏名を自書した上、押印することを要するが(民法968条1項)、右にいう押印としては、遺言者が印章に代えて拇指その他の指頭に墨、朱肉等をつけて押捺すること(以下「指印」という。)をもつて足りるものと解するのが相当である。」 「けだし、同条項が自筆証書遺言の方式として自書のほか押印を要するとした趣旨は、遺言の全文等の自書とあいまつて遺言者の同一性及び真意を確保するとともに、重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによつて文書の作成を完結させるという我が国の慣行ないし法意識に照らして文書の完成を担保することにあると解されるところ、右押印について指印をもつて足りると解したとしても、遺言者が遺言の全文、日附、氏名を自書する自筆証書遺言において遺言者の真意の確保に欠けるとはいえないし、いわゆる実印による押印が要件とされていない文書については、通常、文書作成者の指印があれば印章による押印があるのと同等の意義を認めている我が国の慣行ないし法意識に照らすと、文書の完成を担保する機能においても欠けるところがないばかりでなく、必要以上に遺言の方式を厳格に解するときは、かえつて遺言者の真意の実現を阻害するおそれがあるものというべきだからである。」
 「もつとも、指印については、通常、押印者の死亡後は対照すべき印影がないために、遺言者本人の指印であるか否かが争われても、これを印影の対照によつて確認することはできないが、もともと自筆証書遺言に使用すべき印章には何らの制限もないのであるから、印章による押印であつても、印影の対照のみによつては遺言者本人の押印であることを確認しえない場合があるのであり、印影の対照以外の方法によつて本人の押印であることを立証しうる場合は少なくないと考えられるから、対照すべき印影のないことは前記解釈の妨げとなるものではない。」

 さらに、遺言書には押印がないが、遺言書が封筒内に封じられており、その封筒の封じ目に押印がなされているという事例について、最判平成6年6月24日(裁判集民事172号733頁、家月47巻3号60頁)は、「遺言書本文の入れられた封筒の封じ目にされた押印をもって民法968条1項の押印の要件に欠けるところはないとした原審の判断は、正当として是認することができ」るとしています。
 原審の東京高判平成5年8月30日(判例タイムズ845号302頁)では、「押印を要する右趣旨が損なわれない限り、押印の位置は必ずしも署名の名下であることを要しないものと解するのが相当である。」としつつ、「一般に書簡の場合、それが通常の手紙であれば封筒の封じ目に押印まではしないのが普通であると考えられ、その在中物が重要文書等であるときには封筒の封じ目に押印することのあることは珍しいことではないと考えられる。この場合の押印の趣旨も、在中の重要文書等について差出人の同一性、真意性を明らかにするほか、文書等の在中物の確定を目的とし、かつ、このことを明示することにあると考えられ、本件遺言書も書簡形式をとったため、本文には自署名下に押印はないが(書簡の本文には押印のないのが一般である。)、それが遺言書という重要文書であったため封筒の封じ目の左右に押印したものであると考えられる。そして、右押印は、本件封筒が前記(一)に判示のような形で郵送されていることをも併せて考えれば、本件遺言書の完結を十分に示しているものということができる。」、「以上の判示に照らせば、本件遺言書が自筆証書遺言の性質を有するものであるということができ、かつ、その封筒の封じ目の押印は、これによって、直接的には本件遺言書を封筒中に確定させる意義を有するが、それは同時に本件遺言書が完結したことをも明らかにする意義を有しているものと解せられ、これによれば、右押印は、自筆証書遺言方式として遺言書に要求される押印の前記趣旨を損なうものではないと解するのが相当である」としています。

 もっともこれと似た事案でも、文書に遺言者とされる者の署名及び押印がされておらず、封筒にの表に「遺言書」と記載され、封筒の裏面に遺言者とされる者の氏名が記載され印影が顕出されている事案について、遺言者とされる者が「本件封筒に署名して押印し、かつ、本件文書と本件封筒が一体のものとして作成されたと認めることができるのであれば、本件遺言は、・・・自筆証書遺言として有効なものと認め得る余地がある。」としながらも、事実認定の結果、「本件文書と本件封筒が一体のものとして作成されたと認めることができない以上」、遺言者とされる者が「本件封筒の裏面に署名し、その意思に基づいて押印したかどうかを問うまでもなく、本件文書」は、遺言者とされる者の「署名及び押印のいずれをも欠いており、本件遺言は、民法968条1項所定の方式を欠くものとして、無効である。」と判示している裁判例もあります(東京高判平成18年10月25日・判例時報1955号41頁、判例タイムズ1234号159頁)。
 考え方は上記平成6年の最高裁判例の事案と異ならないものの、当該事案の事実関係のもとでは無効とされたものの例と言えます。

 本記事が作成された後、自筆証書遺言については、遺言書全文の自書が法律上要求されていたものが、平成30年7月6日成立の民法改正によって方式が緩和され、自筆証書遺言に添付する財産目録については自書でなくてもよいものとされました。
 この方式緩和は、平成31(2019)年1月13日から施行されています。
 詳しい内容については、「自筆証書遺言の活用(1)~民法改正による自筆証書遺言の方式緩和~」をご覧下さい。
 本記事を読まれる際には、この点にご留意下さい。
 (平成31年1月18日追記)


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